映画で観たワンシーンのように

関ジャニ∞関連の感想 考察 ネタバレ

舞台「蜘蛛女のキス」という奇跡





「大倉くんがストレート作品に出演するとしたら

どんな風に演じるんだろう」




このことについて少なからず考えたことはあっても自分でハッキリ答えを出そうとしたことがありませんでした。出したくなかったのかもしれないし遠ざけていたのかもしれない。大倉くん本人が舞台で演じることを避けているんだろうな、と心のどこかで感じていたからなのかもしれません。実際、それは当たっていた訳ですけど(雑誌のインタビューでの発言)。


それでも大倉くんが舞台に出るかもしれない日に想いを馳せながら「いや大倉くんはもう舞台出ないだろうし……」なんて可能性を否定していました。今思うとなんて浅はかなことをしていたんだろうと己に絶望します。

そしてそんな時に決まった舞台『蜘蛛女のキス』への出演。忘れもしない3月28日の朝。頭が真っ白になってフリーズしてそのままベッドの上で大人気なく泣いたことだけが記憶に新しくて少し懐かしい気もします。




「えっ!?大倉くんが舞台!?しかも主演!?ストレートプレイ!?二人芝居!?相手は渡辺いっけいさん!?えっ舞台の内容めっちゃ面白そうなんだけど!?」



キャパシティの小さい私の脳で考えられることは上記しかありませんでした(笑)


あとは、グローブ座だからキャパ狭すぎない?とか、チケットが取れないだろうな〜…とか、大倉くんがグローブ座の舞台に立つことになるんだと勝手に感慨深くなったり、周りの友人からおめでとうとたくさんお祝いして貰って感激したり……色んなことを感じていました(自担の仕事が決まって他メンバーのファンからおめでとうを言ってもらえるのはおたくの醍醐味かもしれない)。



何より「嬉しい」の一言に尽きました。

2017年1枚目のシングル『なぐりがきビート』の特典映像として収録されていた新年会。メンバーがメンバーのことを考え、グループのことを考え、思い思いの発言を聞くことができた貴重な映像。あの時の個人やグループへの想い、2017年の豊富を聞いてから何かしら期待していた部分がありました。


1番は大倉くんの映像じゃない久々の個人仕事!ということが大きかったですね。他のメンバーがドーム公演中に主演舞台や主演映画の宣伝をしている中大倉くんには何もなかったから……。いつもはドラマだったり映画の話を聞けたのに何もなかったから。大倉くんになんでお仕事がこないんだろうと正直悔しい思いもしていました。勝手に。



突然話が飛びますが、私自身大倉くんを応援する以外にも舞台鑑賞という趣味があります。と言っても大倉くんの現場がない時に演劇で心を癒しているようなものなので年間20〜30公演ほど観に行くか行かないかレベルの緩いものです。

それが趣味と呼べるようになる前の、舞台に興味を持つきっかけになったのが大倉くんも出演していた2008年の舞台『Endless SHOCK』でした。

大倉くんはそこまで演技が上手いわけではないとその頃も思っていましたが(失礼)、作品自体の面白さも相まって、大きなカンパニーの中で挑戦をする大倉くんの姿に引き込まれました。「ああ…舞台に立つ大倉くんかっこいい…!」と純粋に感じていました。


でも、大倉くんの演技に引き込まれたというよりは、舞台に立つ大倉くんも素敵だなあという感覚で。

大倉くんのファンをやっているくせに大倉くんの演技に対して好きという感情を持ったことがなく、どちらかというと苦手意識がありました。それを少しでも払拭してくれたのはEndless SHOCKだったような気がします。


そして時が経って、ジャニーズ関係なく舞台を観ることが好きになってから「もし今の大倉くんが舞台に立ったらどうなるんだろう」と考えるようになりました。そして冒頭に戻るわけです。

9年ぶりの舞台出演に胸がときめかないわけがなく、それと同時にあれから9年も経ってるのかということに驚かされました。私も歳を重ねたなと……うん……。


ひとまず、蜘蛛女のキス関係の紙媒体(雑誌や新聞)は必ず買って最初から最後まで大倉くんの舞台を見届けよう!そう心に決めて雑誌フィーバーに胸を躍らせながら3月4月5月…と大倉くんの姿を舞台で観ることができる日を待ちわびていました。



5/27 

楽しみと不安と緊張で中々眠れないまま迎えた初日。大倉くんよりも年下の小娘のくせに大倉くん大丈夫かな、どんな感じなんだろう。なんて考えてドキドキしていました。


会場に着いてもソワソワ、座席に座った瞬間から手足の震えが止まらない状況でした。

暗転し暗闇の中から聞こえてきた大倉くんの声に鼓動が更に早まって……私が感じていた心配は不要だったことにすぐ気付かされました。


その瞬間、始まったばかりなのに時が止まってしまえばいいのに、なんて思っていました。


だって私が想像していた以上に、その倍くらい舞台で演じる姿が様になってたから。2008年で止まっていた舞台で演じる大倉くんのイメージとは比べ物にならない程堂々としていて。永遠にこの人の演技を観ていたい、そんな風に感じました。



これは!!!KinKi KidsのMistyの中の歌詞に出てくる「過ぎ去る時間が切なくて〜…魔法のようにこのまま閉じ込めておきたい」みたいな感覚です!!!



この曲すごく好きなんですけどMistyって本当におたく共感曲だと思います(関係ない話)




そんなことを考えていると、初日って物語を把握するよりも演者の動きやセリフが気になって仕方ないんですよね。気づけば終わっていました。幕間なんてなくとも個人的にはぶっ続けで見続けられるよう作品だと思いました。それほど引き込まれていました。

演者的には出っ放しだから幕間必要不可欠だけどね!!!!!


ただ、終わるのが嫌だと思っていても永遠に観たいと思っていても始まりがあれば終わりもあるし、ヴァレンティンの台詞にもあるように


「人生長かろうと短かろうと全ては一時的なんだ。何一つ永遠には続かない。」



美しいヴァレンティンとモリーナの世界は幕を閉じてしまう。普段私が観に行くような舞台は中々スタンディングオベーションなんてありません。あったとしても千秋楽のみ。でもジャニーズ舞台って毎回あるんですよね…あ〜〜蜘蛛女のキスで1番驚いたのそこかも。



初日のスタオベは私含め心の底からやりたくて立ち上がった感じがあって良かったな〜〜。それ以降の公演は私は義務的にやってた……周りの人が立つから立ってました……反省。でも機械的にやってる方いたんじゃないでしょうか?義務じゃないしやりたい人だけやればいいと思うんですけどね。協調性が求められるのもしんどいですね……



2回目のカテコでスタオベがあって、その時からもう半泣きだった私(涙腺ゆるゆる女)。3回目の時に改めてこんな素敵な作品に主演として出演して、今こうして拍手を送られてる大倉忠義くんと渡辺いっけいさんの姿を自分の目で見た時…言葉にできない感情が込み上げてきて涙を堪えることに必死でした。



大倉くんのファンをしていて楽しいこともあるけど、ちょっとしんどいなって思うことや、大倉くん(と関ジャニ∞)が目指してる場所と私が求めてるものにズレを感じてしまうことだったり、好きなのに追いかけることへ義務感を覚えてしまうことも正直ありました。


好きでい続けると自分の中でこうしてほしい!あんなことしてほしい!って願望が出てくるから大倉くんに対して文句も出てくるし、自分のイメージを押し付けてしまったり。色々ありますよね、私もそんなことをよくしてしまっていて応援するのが楽しくなくなってしまってファンを辞めようって本気で思ったことが何度もありました。


しんどくなると、なんで大倉くん好きなんだろうって考えちゃうおたくです(笑)なんで好きになったんだろうとか、なんでファン続けてるんだろうとか意味もないことを永遠考えてしまうタイプなんです。でも生きてきてこんなに長くファンを続けてきた人が大倉くんしかいないから、冷めても離れても頭のどこかに大倉忠義っていう存在がいるんですよね。


嫌ってなることもたくさんあります。

それでも大倉くんが好きで、大倉くんの仕事に対しての想いが好きで、仕事をしている大倉くんが好きで。仕事の話を真剣にする大倉くんが好きで。アイドルとして生きてくれる大倉くんが好きで。大倉くんが活躍する姿を見るのが好きで。自分の生活の一部になってて。



舞台上での第一声を自分の耳で聞いて、最後のカーテンコールで立派に板の上に立つ大倉くんを自分の目で見た時「あっ私がまだ大倉くんのファンを続けてたのって今日を迎えるためだったんだ!」って感じました。

そして心から大倉くんの演技が、表現が好きだって言えるようになりました。


大倉くんのことは大分知っていると思っていたのに新しい大倉忠義を見ることができたようで鳥肌ばかりです。語彙力ないおたくなので簡単に一言で表すと


嬉しい!楽しい!大好き!」



これにつきます。ドリカムさまさまです。




こうして舞台初日の幕が上がってから私が大倉くんを応援してきた人生の中で1番楽しいと思える期間が同時に始まったんです!





…ってとこまで書いてやめてました。

初日の想いが詰まってたんだろうなって思います。これ今更新しないと永遠続き書かないだろうから、大倉くんの細かい演技についてだとか作品の考察はまた次の機会にします(笑)


読み返したらほんと大したこと書いてない……でもブログに書き殴りたかったんですよね〜〜あの日の興奮と押さえきれない大倉くんに対する想いとか。


あの5/27の18時30分からの2時間50分は

間違いなく奇跡のような時間でした。


忘れられない夢のような映画のような美しくて儚くて、でも現実にある幸せでした。